■第1部 4位論
『ハクション大魔王』の歌詞ではないが、「数字にゃ泣けてくる」と言いたいくらい、私は数字に滅法弱い。これは周りの方々も認めるところだ。そんな性質にも関わらず、時として数字論を出したくなってしまうのは、人情というものか。
空手などのトーナメントを見たことがある人なら分かるだろうが、トーナメント戦では、優勝者と準優勝者、つまり1位と2位が、全試合の終了時に、自動的に決定する。
問題なのは、3位と4位だ。準決勝で既に負けた人間2人を、再び試合場に上げて闘わせ、その勝者を3位、敗者を4位とするわけだが、これは順位を決めるために無理矢理2人の敗者を闘わせる、かなり酷なやり方である。近年では、選手のダメージを考慮し、準決勝で敗退した2人を両方3位とする形をとる大会も多くなっている。
それでも、空手トーナメントの老舗である極真会館などは、頑なに以前からの方針を曲げず、3位決定戦を行い続けている。3位決定戦の場に臨むのは、非常に辛い。もはや優勝への望みは絶たれている。「優勝以外は、すべて同じ」との思いを抱く選手は多い。もう、この大会では優勝できないんだ! そのような中でも、たったひとつの、しかも優勝より2つも低い位置を争わなければならないのだから、これがいかに残酷な試合となるかは明らかだ。
「3位決定戦では絶対に負けない」。優勝を始め数々の入賞経験を持つ知人はそう語る。「ひとつの大会で2回負けるわけにはいかない」という理由からだ。それを実行してきた人だけに、その言葉には説得力がある。しかし、勝者のいるところに、必ず敗者が生じるのが試合の常で、引き分けを認めないトーナメントの3位決定戦では、3位が決定すると同時に4位が決定されることになる。
先の知人が言う「ひとつの大会で2回負け」。それが4位入賞者だ。4位入賞――それは、下位の選手と比べれば、誇るべき順位である。しかし、「ひとつの大会で2回負け」という屈辱を味わうのは、この4位入賞者ただ一人だけであるこも無視できない。
3位決定戦制度をとっている極真会館で、ウェイト制の全日本では何度も優勝し、その実力を高く評価されながらも、無差別の全日本ではベスト8どまりに終わっていた選手がいた。青森県にある有名な土地の名に似た苗字を持つその選手は、聞き慣れぬその名、さらにはその当時始まったばかりのウェイト制全日本で優勝することによって、注目度を高めていた。
数年後の世界大会でベスト8入賞を果たし、いよいよ念願の無差別全日本制覇かとも思われていたが叶わず、第5回の世界大会で再びベスト8入りを果たした翌年の第24回全日本で、「4位入賞」を果たす。これが七戸康博選手の全日本における最高順位となった。
パワーに頼る荒い組手という点を指摘されがちだった七戸選手だが、この第24回大会では、動きに無駄がなくなり、持ち前の力を的確な攻撃として相手に伝えるスタイルへと自らを進化させていた。自分の殻を破った七戸、ということで、翌年への期待は高まった。
ドラマはここから始まる。第25回全日本の七戸選手は、期待通り、いやそれ以上の闘いぶりで勝ち上がり、準々決勝では八巻健弐(当時は健志)選手と対戦。大型選手の多い極真でもひときわ大きな2人の対戦は、まるで地を揺るがすかのような打撃戦となり、渾身の左右直突き連打で八巻選手を後退させた七戸選手が勝利を収め、本大会のベストファイトともいえる内容となった。
ところが、準決勝では、田村悦宏選手のコンパクトな攻撃と固い守りをどうしても崩せず、七戸選手は敗れ去る。結末は、あの巨漢・田村選手が、何と体重判定で勝つという、不思議な光景であった。こうして2年連続で準決勝敗退となり、3位決定戦に臨んだ七戸選手を待っていたのは、これもまた2年連続で準決勝敗退し、3位決定戦に臨む岡本徹選手だった。
前回の3位決定戦は、岡本選手が七戸選手に下段回し蹴りの一本勝ち。あの七戸選手を倒した、ということで岡本選手は急浮上することになったわけだが、昨年は準決勝の数見肇戦で七戸選手のダメージが蓄積していた、という見方もあった。しかも、2年連続で同じ相手には負けられない、という意地を七戸選手が見せるだろう、との予想も強い。
ところが、結果は昨年と同じく、七戸選手の一本負け。これを何と表現したらよいものか。伸び盛りの岡本選手と、引退の近づいた七戸選手という対比はいかにも簡単だが、そのようなことでは片付けられない鬱屈した何かを残す試合であった。
ここで、浮かび上がるのは、岡本選手の実力でも、七戸選手の悲劇でもない。一本負けが2年連続、3位を取れずに4位となった、という数字そのものなのだ。数字とは、極めてプロ野球的なものである。4打席4三振、400勝、4割打者……。選手たちが見せる運動の軌跡などではなく、あくまで結果としての数字が強調される。格闘技においても、ボクシングなどメジャーな競技は、スポーツ新聞などで取り上げられることによって、数字の世界へと化している。
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