アンドレ・マナートのオランダコンビネーション
■反撃篇
 アンドレ・マナートは、アーネスト・ホーストやピーター・アーツが登場する以前、オランダのキックボクシング技術を確立し、ロブ・カーマンと並んで黄金時代を築いた第一人者である。
 左のパンチから右の蹴り、右のパンチから左の蹴りなど、対角線でつながれるその攻撃パターンは、オランダコンビネーションと呼ばれ、現在ではキックボクシングにおける戦闘法の基本になっている。
 それほど、オランダコンビネーションは、身体操作の理にかなったものであり、誰もが身につけやすく、使いやすいテクニックなのだ。
 ここでは、アンドレ・マナート本人が、その最も基礎的な反撃法を伝授してくれる。

 オランダは、世界最高の域に位置する格闘技大国として、盤石の基盤をなしている。
昨年のK-1グランプリで4度目の優勝を遂げたアーネスト・ホースト、同じくK-1で2度の優勝を果たしたピーター・アーツらは、オランダキックボクシングの伝統をしっかり受け継ぎ、発展させている立役者だ。
 オランダ勢力が、急速に日本へ押し寄せてきたのは、1980年代半ばであった。
極真空手の世界では、第1回、第2回の世界大会こそ、アメリカ、イギリスなどの力が強かったが、第3回では、オランダのミッシュル・ウェーデルが台頭。あまりの強さゆえ、かえってマークが厳しくなり、増田章に惜敗したものの、デイヴ・グリーブスが、オランダ選手で初めてベストエイトに入賞を果たした。
 87年の第4回世界大会は、結果としてはハグ・アンディ(当時の表記。この第4回大会から、アンディ・フグとなったが、第3回以後のヨーロッパ大会などを知る者にとっては、アンディ・フグは、どうしてもなじめない)が準優勝となって最大の注目を集めたわけだが、昨年の第18回大会でミッシェル・ウェーデル、ピーター・スミットの両オランダ選手が活躍していただけあって、開催までにその強さは具体的な脅威となって重くのしかかり、フタを開けてみても、確かにオランダ旋風が吹きまくった。
 エースであるミッシェル・ウェーデルを始め、ピーター・スミット、ミッシェルを上回る体格のヒェラルド・ゴルドー(これも表記は当時のまま。プロレスの試合をしてから、ジェラルドになった。空手選手として見るなら、ヒェラルドだ)、軽量級ながら、七戸康博をもう一歩のところまで追い詰めたエリック・コンスタンシア。4人という出場枠で、全員が優勝を狙える力を備えた、正に最強軍団だったのがオランダ選手団だったのである。
 この時期と平行して、キックボクシングの世界にもオランダの嵐が襲ってきた。日本人選手に人気の出ない「冬の時代」に、その不在を埋め、一時代を築いたのが、ロブ・カーマンであった。強力なローキックを軸として、パンチとキックを対角線で繰り出すオランダコンビネーションを、カーマンは自らの闘いで世に知らしめたのである。
 極真の第18回全日本で七戸康博を追い込み、第4回世界大会で黒澤浩樹の肉体を破壊したピーター・スミットは、大会での判定に大いなる不服を露わにし、極真空手からキックに転向した。
 極真の舞台であれだけすさまじいファイトを展開した選手だけに、キックの世界でも必ずや大暴れしてくれるであろうと期待されていた日本でのキックデビュー戦。1989年1月に行われた全日本キックボクシング連盟主催によるその試合の対戦相手が、アンドレ・マナートであった。
 関係者や事情通はともかくとして、一般ファンからすれば、「マナートって誰? スミットを売り出すためのかませ犬だろう」くらいのイメージしか持っていなかった。
スミットがどんなKOシーンを見せてくれるのか。焦点はそこにあった。
 しかし、試合内容は、両者一歩も退かぬガチガチのスタミナ勝負で、最終的にスミットがパンチでダウンを奪ったものの、KOには至らず、判定決着となった。
 事情を知らない素人ファンも、この一戦で、マナートにすっかり感心してしまった。当時オランダのキック界でトップクラスに君臨していたマナートに対する正当な評価を抱き、マナート、スミットの両選手に対して、彼らがどれほど強い選手であるのか、その実力を思い知ることとなった。
 翌年6月、ロブ・カーマンをKOしたスミットと対照的に、マナートは、日本での試合数は少なく、あまり注目を浴びることはなかったものの、スミットとのあの一戦だけでも、カーマンと並び称される二大巨頭である、との評価は、引退まで、いや、引退後の今日でも変わってはいない。

最後はマナート先生とスパーリング
取材の締めは、恒例のスパーリングだ。いきなり左のストレートが飛んでくる。リーチがあるので、よけられない。そこからロープへ詰められ、パンチの連打だ。
リング中央へ戻り、再開。マナート先生が、ロングからの前蹴り。これを私が下からすくい、前進すると、マナート先生は、後ろに転倒。終了後に、「あれにはびっくりしたよ」と言われたが、そのためか、ローキックの頻度が増してくる。私のキックをしっかりと見切り、正確なフォームで右ローキックがヒット。
終了後は、左の大腿が大きく腫れ上がり、氷で冷やさねばならなかったほど。今だ劣えぬローキックの冴えを、体で思い知らされました。

 

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