いきなり80年代的な見出しをつけてしまったが、そう表現せざるを得ないものが、他ならぬジャッキー・チェンの映画なのだから仕方がない。
映画とは、思想が如実に現出する場である。ここで言う「思想」とはジャン=リュック・ゴダールの映画において、毛沢東の語録や共産党のスローガンなどが、文字や台詞として引用されることを意味してはいない。それらは、道路や家や山などと同様、風景の一環としてしか、映画の中では機能していない。映画においての風景とは何かを理解していない人間がまんまと罠にかかり、ゴダールと共産主義思想の関連などを声高に主張するようになる。
ゴダールの例はむしろ特殊かも知れない。ジャン=ポール・サルトルが脚本を担当した『賭はなされた』が実存主義映画になるわけではなく、構造主義のウンベルト・エーコが著した『薔薇の名前』を映画化したところで、それが構造主義的なものになるわけでもなく、社会派として知られる山本薩夫の諸作品が描く社会主義、共産主義的な行動なども、あくまで風景の一環でしかない。
では、ギリシアの現代を描き続けてきたテオ・アンゲロプロスはどうだろう?どっこい、これは思想そのものである。10年に1本しか映画を撮らない、スペインのヴィクトル・エリセも、たった3本の監督作が、まさしく思想たり得ている。映画を作るという行為に出れば、それは必然的に思想とならざるを得ない。にもかかわらず、山本薩夫のような例が生じるのは、映画という言語を理解しようとせず、文字言語によって著された概念だけしか信じていないからである。
ジャッキー・チェンは、映画を作るという作業の中で、「思想家」と呼ぶ他はない態度を維持している。その思想とは、「上と下への眼差し」。これしかない。文字にしてしまえば、実に単純だ。しかし、上と下こそが、映画を成立させる根本的な、しかも映画を破壊することにもつながる要素であり、それに対する意識を絶やすことなく、しかも自らの肉体によって活性化させているのがジャッキー・チェンなのだ。
■映画の限界とジャッキー・チェンの悲劇
ジャッキー・チェンは、映画の中で何度となく落下する。その落ち方は、数多くのヴァリエーションを生み出してきた。今回の『WHO AM
I?』でも、ジャッキー・チェンはヘリコプターから落下している。それでも彼は死なない。実際に人を落としてはいけないという映画の不文律を超えて、自ら落ちながらも死なずにすむにはどうしたらよいか、という大命題に向けて取り組んでいる点に、ジャッキー・チェンの映画史における存在意義がある。
同時に、落ちずにいることもまた重要な課題となる。宙吊りでの戦いや、天と地の逆転など、これに関してもジャッキー・チェンは、さまざまなアイデアで解決に挑んできた。『WHO
AM I?』で、落ちずにいる場となるのは、斜面が作られた高層ビルである。まずは滑り下り、途中で立ち上がって駆け下り、また転んで滑り下りる。この大アクションを数台のカメラでとらえたシーンが、この映画のクライマックスを飾る。
数台のカメラのうち1台は、ビルを真上からとらえる空撮である。真上からのショットは、せっかくの斜面がほとんど平面に見えてしまう。ビルの屋上から落ちそうになるショットなら、危険性がはっきりわかるのだが、対象が斜面では、せっかくジャッキー・チェンが命懸けのスタントを行っても、危険なイメージが伝わりにくいのだ。
おまけに、ビルの下から見上げるショットでも、斜面よりもビルの側面が見えてしまい、怖さが発揮されない。スキーで急斜面を滑ってみればわかることだが、斜面の怖さは実際に自分がその場に立たなければ理解しにくいものなのである。それに挑んだジャッキー・チェンの試みは偉い。だが、せっかくのスタント(=思想)を理解してもらうには、カメラの位置(=わかりやすい文章)をより入念に模索すべきだった。
ある意味で、ジャッキー・チェンは、映画を超えてしまったとも言える。同時にそれは映画の限界点であり、ここから新たなショットを発見していくことが、ジャッキー・チェンが真の映画作家として前進していくことにつながる。自分の置かれた危険な状況を、より明確に理解させるためにジャッキー・チェンがなすべきことは、まだまだ多い。思想家ジャッキー・チェンが陥っている悲劇がそこにある。
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