■ヨーロッパの敗北
森の中で頭のおかしくなったディカプリオが、農民(と訳されていた)の銃を奪い、周囲の人間たちを片っ端から撃ち殺し始める……、なんて展開を予想していたら、何ら破綻が起こることなく、予定調和的に事は収まってしまう。
イギリスというホームグラウンドを離れ、アメリカという制約だらけの環境において、どこまで暴走できるかが、この映画の監督ダニー・ボイルに対する期待であったが、彼の毒気は完全に抜き取られ、完成された映画は、正に腑抜けという表現がふさわしい仕上がりと化していた。
その出世作『トレインスポッティング』で見せた、トイレに飛び込み、そこから水中シーンへと転じる描写は、ボイルらしさを感じさせる彼の特質足りえており、『ザ・ビーチ』でも、ヴィルジニー・ルドワイヤンらを崖から飛び込ませることによって、ボイルらしさを反復しようとする意思は感じられた。
しかし、トイレに飛び込むことと、崖から飛び込むことの差は歴然としている。中途半端な高さの崖から、安全に水の中へ飛び込むことは、ボイルらしくあろうとする映画の姿ではなく、単に弛緩したアクションと堕した、どこにでもあり、誰にでもできる程度の場面にしかなっていない。
こうした弛緩ぶりは、説話の上で一層明らかになっている。コンラッドの『闇の奥』を原作としたフランシス・コッポラの『地獄の黙示録』を、平板になぞっただけの脚本に、これといって抵抗や自己主張を介入させることもない迎合ぶりは何なのだろう? せいぜいバンコクのゲストハウスで宿泊客たちに『地獄の黙示録』のヴィデオだかテレビ放映だかを見させることで、ちょっとした皮肉を入れたつもりになっているダニー・ボイルの表情を想像すると、気恥ずかしさを超えて、不快感が高まってくる。
共同体の、予定調和にふさわしい壊滅を引き起こすのが、ロシアン・ルーレット。
『ディア・ハンター』で、あれだけ非難されたロシアン・ルーレットを、またしても東南アジア人が強要してくるとは。「芸がない」といった次元ではない。崖からの飛び込みで、事態は決定的になっていたが、貧弱さへの落下はなおも続いていたのだった。
ヨーロッパで成功を収めた映画監督が、アメリカに呼ばれる事例は決して少なくない。戦前なら、F・W・ムルナウ、フリッツ・ラング、エルンスト・ルビッチ、アルフレッド・ヒッチコックなど、偉大な名前が瞬間的に浮かんでくる。
ところが、戦後から現代にかけては、彼らのようにアメリカでも大成功を収めた人をすぐに思い浮かべるのが難しくなる。むしろ、賢明な監督ほど、おいそれとアメリカなどには渡っていないことに気づくはずだ。フランソワ・トリュフォーが、監督をするのではなく、出演者としてアメリカ映画に参加していることは、ひとつの意思表明であると見なしてもよいだろう。
■アメリカとどう関わるか?
先に『地獄の黙示録』で名前が出たフランシス・コッポラは、ヨーロッパの監督とアメリカ映画の関わりにおいて、映画史でかなり重要な役割を果たしている。『地獄の黙示録』を公開した後、コッポラはゾーエトロープ・スタジオを設立するわけだが、そこで制作する作品の監督としてドイツから強力な手腕の持ち主を招聘する。
『都会のアリス』『まわり道』『さすらい』『アメリカの友人』など、傑作を連発していたヴィム・ヴェンダースに、『ハメット』の監督を一任したのだ。『ハメット』は、製作者側と演出側、あるいはアメリカ側とドイツ側といった単純な対立概念を吹き飛ばすかのようなヴェンダースの、のらりくらりとしたとらえどころのない演出が異様な魅力を放つ作品ではあったが、興行的には失敗し、ゾーエトロープ・スタジオの終焉にも一役買う結果となった。
『ハメット』を撮った同年、ヴェンダースはフランスとの合作で『ことの次第』という、とてつもない傑作を世に放ち、その2年後には、自ら「私は、最後のアメリカ映画を作ったつもりだ」と発言する『パリ、テキサス』を生み出し、コッポラとゾーエトロープ・スタジオの没落とは逆に、80年代を席巻する勢いで疾走しながら、『ベルリン 天使の詩』へと行き着くのだった。
フランスシス・コッポラ製作、ヴィム・ヴェンダース監督の『ハメット』が、彼らにとって良くも悪しきもひとつの契機となったことは間違いない。ここで重要なのは、ヴェンダースのような実力者ですら、アメリカで映画を監督することは、非常に困難だったのだ、という点である。ましてや、『トレインスポッティング』程度の成功しか収めていないダニー・ボイルが、アメリカでいったいどれだけのことができるのか、これは『ザ・ビーチ』の完成を待つまでもなく予想できたことではないか。
ヴィム・ヴェンダースがアメリカを離れ、アメリカ資本とアメリカの制作システムから解放されることによって作り得た映画『パリ、テキサス』を、彼はなぜ「最後のアメリカ映画」と呼んだのか? それを理解するには、ヴェンダースがいくつかの自作の中ではっきりと刻印しているアメリカ映画への思い入れや、ゾーエトロープでの仕事とアメリカ映画界の実情など、複雑に絡み合った状況を知る必要がある。
そうした諸問題に対する意識があまりにも希薄過ぎたダニー・ボイルの『ザ・ビーチ』が、なぜあれほどの惨状を呈したのか。それは、ヴェンダースが「最後のアメリカ映画」と発言した真意を汲み取るよりも、はるかに理解しやすいことなのである。
ザ・ビーチ THE BEACH
監督:ダニー・ボイル
製作:アンドリュー・マクドナルド
脚本:ジョン・ホッジ
原作:アレックス・ガーランド
主演:レオナルド・ディカプリオ、ティルダ・スウィントン、ヴィルジニー・ルドワイヤン、ロバート・カーライル
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