編集後記
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2001年2月号
山田英司プロフィール
「格闘ストリーミングマガジンBUDO-RA」編集長。「格闘伝説BUDO-RA」編集長。
早大「中国拳法同好会」初代主将。高校時代より中国拳法を学び、台湾、中国などの師につき、八極拳、螳螂拳、太極拳(陳式、楊式)、翻子拳、通劈拳、少林拳、形意拳、劈掛掌、各種武器などを学ぶ。自ら新空手やムエタイに挑み、戦う編集長として知られる。実戦だけでなく、その格闘理論には定評があり、初めて中国拳法の上達理論を確立する。
2000年7月号
山田英司編集長
編集後記
松井館長が、取材の際に、今ハマっているのは「バカボンド」だと語っていた。さすが、松井館長、目のつけどころがいい。これは、「モーニング」に連載されている宮本武蔵の劇画であるが、画面全体に緊迫感が漂い、非常にやる側の心をうまく捉えた格闘劇画だ。「空手バカ一代」を最後に、格闘技漫画は残酷性やおぞましさを描く方向にしかエスカレートせず、これらを格闘技漫画の範疇に入れて評価される事が不満だった。格闘技者の流血やKOシーンを見て喜ぶのはあくまでも、プロレスファンであり、彼らにこびる漫画は決して格闘技漫画や劇画ではない。
「バカボンド」は、その意味で久々に現れた優れた格闘技劇画だ。昭和の武蔵を目指した大山総裁も、もしご存命なら、必ずこの劇画を推薦したはず。平成の武蔵を目指すなら要チェックの劇画だぞ。
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2000年8月号
山田英司編集長
編集後記
人生において、ほんの一コマしか接触しないのに大きな影響を与えてくれる人もいれば、長くつきあっても、あまり影響を受けない人もいる。
私にとって澤井先生はまさに前者の人だった。
池袋の喫茶店で一度だけお会いして、詳しくお話をうかがった。喫茶店でいきなり、私の顔を思いきりなぐってみなさい、という様な方だ。当時私の中国拳法の先生とも親しく、君も、君の先生も一度真剣な戦いをしなければダメだ。と言われ、もし良ければ私の所に来なさい、とも言われた。
私は既に一人の先生についていたので澤井先生のもとへいけなかったが、澤井先生の言葉は深く頭に残り、その後、先生の言われるように、新空手やムエタイと戦い、自分の実力を素直に認める作業の大切さを知った。「男はね、戦って、敗けて、ハジをかくんだ。それを恐がってたら、永遠に強さとは何かわからんよ」最後に語られた、印象深い澤井先生の言葉である。
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2000年9月号
山田英司編集長
編集後記
読者の皆さんの応援のおかげで、格Kは、今月から雑誌コードを取得。といっても一般の人にはピンとこないかもしれませんが、今の時代、別冊から雑誌コード取得は大変なこと。その大変な事を実は本誌は2度もクリアーした雑誌界初の雑誌なのです。実は格Kはここまで来るのに波乱万丈。
最初の版元のA社が活動停止。次のS社から、継続して格Kを出版。そのS社で雑誌コードを取得したと思ったら、なんとそのS社が倒産。雑誌コードも宙に浮いてしまった。次に、今のぴいぷる社へ。そして今回、2度目の雑誌コードがぴいぷる社におりたと言うわけ。2年間の間に版元を3回変わって継続した雑誌も初めてならば、2年間に2度コードを取ったのも雑誌界初。みんな初づくしの格Kには、出版界の常識は通用しません。
それと言うのも、雑誌名が変わろうが、版元が変わろうが、ずっとついてきてくれた読者がいたからこそ奇跡の雑誌と成りえたのです。謝謝。
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山田英司編集長
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